こんにちは
坂出の柔らか整体師 イッツモットの泉本です。
最近、とにかく範疇を超えた事件、事故の多いこと・・・
川崎市の小学生に切りつけた事件、練馬区の元官僚の殺害事件などとにかく心が痛い事件が続きます。
しかも練馬区の事件については川崎の二の舞を防ぐためという側面もあったとか・・・
テレビでは予防策などについて議論があったり犯人の内面についての報道があったりといろいろありますがなんか机上の空論というか、いまいち現実味の無い内容に思えてしまいます。
個人的には、ほぼ100%に近い感じで子供のころにどうやって育ったかによると思っています。なので本人の責任だけでなく親の責任と思っています。傍から見える教育なんて外面なのでどう育てているか、育っているかは当人しかわかりません。
元教師のお客様と話しているとき、ハッとなることを言われました。
「ひきこもる人のほとんどは、会話を肯定されないんですよ。どんな内容でもいったん 『そうだよね』って言ってあげるだけで全然違うんですよ」
「練馬の子も小学生の声がうるさいと言い出したことが事件のきっかけになってそうだけど、そこをいったん『そうだね、声大きいね』っていうだけでも違ったかもしれないのになあ」
子供の声が大きい→小学校の横なら当たり前という倫理観が、息子さんの意見を即否定してしまったのか?
この怒りが小学生のほうに向いてはいけないという苦渋の決断だったのかもしれません。
親として、常識とされる倫理観を子供に与えることは大切かもしれませんが、その前になぜそう考えるのかをきちんとふまえないと子供の考えを押さえつけることになりえます。
子育てについてはいろいろな議論がありますよね。正解はないのでどのご家庭でも悩むでしょうし、まだお子さんのいらっしゃらない方、未婚の方は自分がどんな子供時代を過ごしてきたか振り返ってみてください。
時間とか、
方法とか
お金とか
そんな一部分ではなくて、きちんと親子がつながっていること、
これが本当の意味での予防策になるのではないかと思います。
子供のためとか言いながら自分の都合で育児してないですか?
子供に自主性とか言いながらただ甘いだけの育児、可能性とか将来のためとか響きのいい言葉に流され本人の希望も聞かずレールを敷いてあげることがいい育児とは限りません。子供を認めることが大事。
手を挙げてもきつい言葉を投げかけてもちゃんとつながる親子であれば何も問題ないはず。
今すぐこんな世の中が変わるかどうかはわかりませんが、未熟な大人ですが少なくとも自分の周りの未来の宝には甘く、厳しく、認めて接していきたいと思いました。